先日、国立科学博物館を訪れた際に感じたこと。
学生時代は文系だったが、社会人になってから自然科学への興味が溢れてきており、科博は大好きな場所になってしまった。
約40億年の生命の歴史から見たら、自分の人生なんてほんの一瞬で終わってしまう。
これまでの進化の道のりを見ているとそう思ってしまう。
そして、人間なんて他の動物、植物のボリュームから比べると圧倒的にちっぽけな存在。
なのにこんなに繁栄している不思議。
人間だけの歴史を見ても、こんなに便利な世の中になったのはつい最近であり、
今まではほとんど狩猟採集をして生活をしてきている。
なので人間の身体には狩猟採集時代のクセがついていて、それが現代の生活の中で支障をきたしている部分もある。
そんな歴史を考えながらいろいろと想像してみることが楽しい。
何かの役に立つからとか、得だからとかではなく、単純に学ぶことが面白く感じる。
宝石の特別展も見学。
宝石を見ると、地球も生きていることを感じる。
こうやって地表に出てくるものはほんの一部で、地球の内部ではもっととてつもない何かが生まれ、消えていっているのではないかと思ってしまう。
人間が目にすることができるのは地球の活動のほんの一部。
誰かが掘り起こしてキレイに磨けば、宝石としての価値が出てくるが、
誰にも見つけられずに眠ったままのものもあるはず。
仮に見つけられても、その価値を理解できない人に見つけられたら捨てられてしまう可能性だってある。
それと同じようなことが人間の世界でもある。
もしかしたら自分の中に持っているもので、他人が欲するような価値が出せるものがあるのかもしれない。